IndeX >>> Vampire Love



 T.Vampire Love <4>



 こんなことになる何て本当に予想外だった。
 怯えさせるつもりなんてなかったのに。
 今度こそ大切にしたかったのだ。
 …なのに、蓋が外れたように本能で動いてしまった。
 あの瞬間、紛れもなく理性を本能が凌駕していた。
 独特な保健室の薬品の匂いにすら、彼女の血の匂いは勝った。
 甘い甘い芳香だった。
 人にはわからないだろう微量なそれも、人にならざる者である自分にはすぐに嗅ぎ分けられる。
 学校で会った瞬間に彼女のことはすぐに分かった。
 同時に、まずいと心が危険信号を出した。
 ずっと会いたかった彼女は、記憶の中よりとても美しく成長していた。
 綺麗だった黒い髪は、今でも肩より下に長く伸ばされていて、彼女の白い肌にとても似合っていた。
 昔から変わらない漆黒の瞳は彼女の意志の強さを表しているかのようにとても真っすぐだった。
 そして何より、忘れることが出来なかった彼女の匂い…
 俺を狂わせる甘い血の媚薬。
 傍に近寄るだけで薫る君の匂いに誘われ何度手を伸ばしそうになっただろうか。
 長年、忘れることも出来ず恋い焦がれた愛しい君に。


 保健室から飛び出してすぐにチャイムが鳴ったから、これ幸いとあまり人のこないトイレに駆け込んだ。
 鏡に映る自分の顔ははた目にもわかる程赤くて、やはりすぐに教室に戻れるものではなかった。
 そこでようやく、先程からぎゅっと握り締めたままの指先をそっと開き見て、日向は数度瞬いた。
「え…?」
 まず驚いたのは、確かにそこにあった傷が消えて無くなっていたことだった。試しに押してみてもあるはずの痛みもない。
「なん…で…?」
 薄い切り傷も、そこにあった鮮血も、間違いなくこの目で確認していたのに。
 考えられるとしたら碓氷くんしかいなかった。
 きっと彼が何かしたに違いない。
 何か…舐めたこと?
 いくら傷は舐めれば治ると云われようとも、こんなに早く治癒するはずがあるわけ無い。
 それに、あの時の彼は傷を心配して舐めると云うより…血を……そうだ、普通、指先に傷が出来て舐めるとしたら真っ先に口に含む筈ではないか。
 でも、彼のそれはまるで味わうかのように舐めていた。
 それだけではない。舐め上げた後の彼の恍惚とした目。妙に色気があったそれに不謹慎にもどきっとした。
 考えてみたらおかしなことは他にもある。
 例えば、三井くんに連れていかされた先は人通りの少ない場所で来たばかりの彼が簡単に見つけられる場所ではなかった。
 他にも、教えてもいない自分の家を知っていたりもした。
 あの時はそんなに深く考えはしなかったけれど、後から考えてみればおかしな話だ。
「一体なに者なの…」
 日向の頭には、そんな疑問がぐるぐると沸き始めていた。


 授業開始も迫り慌てて教室に帰ると、既に十夜は席に着いて他の子達に囲まれていた。
「さっきはありがとう」
 控えめないつもと変わらない笑みを讃えていても、他の人には分からなくても、でも今の私にはそれは無理しているとしか思えなかった。
「ううん…」
 目を合わさずにそれだけ返して自分の席に着く。
 他の子たちにはどうして保健室に行った碓氷くんより私のほうが後に帰ってきたか聞かれるかと思ったけど、そんなこともなくって、きっと碓氷くんがうまく誤魔化してくれてたんだと思う。
 その後も結局何にも集中出来なくて、ぼーっと準備をしているうちに、次の授業の先生が来ていた。
 授業が始まっても、日向の心はそこにはない。
 ずっと隣の十夜の存在が気になって仕方がなかったのだ。
 でも、彼を見る勇気はなくって、その結果目はノートと黒板を泳ぐように行き来する。
 内容なんか頭に入ってこない。かなり重症だ。
 もうずっと隣の彼のことばかり考えている。
 ふとシャーペンを持ちなおした時、視界に舐められた指が入った。意識するとまたそこだけ熱を帯びたかのような錯覚に陥ってくる。
 よくよく考えてみると、家族でもない、ましてや碓氷くんに指を舐められたなんて凄い話ではないだろうか。
 や、やだ…
 必死に忘れようとするが、一度考えたそれは中々頭を離れてはくれない。
 あーもう、何で私こんなに碓氷くんのことばっかり考えてるのよ…
 その後もしばらく日向の頭から十夜の存在が消えることはなかった。


「ごめん、ひなちゃん、教科書借りてくるから先行ってて!」
 雪野と一緒に次の授業のために教室移動しようとしたのだが、どうやら彼女は教科書を忘れたらしく借りに行ってしまった。
 待っていてもいいのだが、行っておいてと云われた手前、待っていても戻ってこない可能性もある。
 仕方がないので、先に行って待っていることにしようと教室を出た矢先、三井と人の姿を見つけてしまった。彼はどうやら友達と話しているらしい。
 内心、あんなことがあった後だから、顔も合わせ辛いし会いたくもない。
 同じ校内で過ごしているわけだから、そうもいかないのが現実ではあるが。
 あの後、彼に何か云われることもなかったし、会うくることもなく安心していたのに…
「あれ、三井それどうしたんだ?」
 仕方なく目を合わさないようにして足早に通り過ぎようとしていた日向の耳に三井の友人の声が入ってきた。
 思わず横目で見てしまった。
「あー、これかぁ、これ何だろ、いつの間にか合ったんだよ」
 ぺんぺんと彼が叩いて見せた手の甲には二つの傷があった。
「なんだよ、それ牙っぽくねえか?まさか吸血鬼にでも噛まれたか?なんてな、はは」
 冗談混じりに云った彼の友人の言葉にその場にいた面々はありえないと笑っていたが、日向はどきっとして心臓が跳ねた。
 吸血鬼…?血を吸うあの架空の生き物よね…
 そこでふるふるっと首を振った。
 三井たちの会話はもう聞こえない。
 自分はどうも吸血鬼という単語に過剰反応する節がある。
 そうだ、考えてみれば吸血鬼なんているわけがないではないか。そう思い込もうとするけれど、思えば思うほど、日向の目には妙に頭に焼き付いた先程の傷跡が牙で噛まれた跡に思えて仕方がなかった。
 そして、ふと脳裏を過ったのは十夜の存在だった。
 彼の血を舐める様子はまるで…吸血鬼…
 そこまで考えて、自分の想像力に呆れたくなる。だが完全にその考えを否定することも出来ずにいた。
 吸血鬼。架空の存在とさりそれは、日向にとって恐怖の対象であった。
 何故だか理由は分からないし、いつからそうなのかも分からない。
 けれど、吸血鬼に関するビデオなどの映像、書籍など、そういった話題をいつしか避けていた。
 条件反射のように体が拒否する。奥底からいいようのない波が押し寄せるような感覚。
「ひなちゃん?」
 突然、耳に入ってきた呼び声にはっとして意識を戻すと、横に雪野が立っていた。
「え…?あ、うん、入る…」
 どうやら無意識に教室に移動はしていたが、その扉の前で立ち尽くしていたらしい。
「…どうしたの?顔色悪いよ?」
 心配そうに雪野が顔を覗いてくる。
 自分では分からないけど、多少の自覚はあった。
 耳鳴りと頭痛。
 先程から徐々にそれが強くなってきている。
「保健室、行ったほうがいいよ…」
 心配している日向に大丈夫だと返したいが、どうやらそうもいかなくなってきた。
「ん…保健室で休んでくる…先生に云っといてくれる?」
 心配そうに付き添うと申し出てくれた雪野には丁重に断って、私は扉をあけずにそこを後にした。
 正直、日向がああ云ってくれてほっとさた。
 いや、もし云われてなくても自分から保健室に行っていただろう。
 なぜなら、今の自分にはあの扉を開く勇気がなかったからだ。
 中にいるであろう十夜の姿を目にすることを体が恐れていたのかも知れない。
 ゆっくりとした歩調で保健室に向かう。
 如実に強まっている頭痛に顔が歪む。
 やっと着いた今日二度目の保健室はかわらず特有の匂いを放っていた。
 40代後半と思われる養護教員が、パソコンを打つ手を止めてあらっとこっちに向いた。
 どうやら他に生徒はいないらしい。
 私の顔色を見ただけで察したのか、養護教員は利用カードの記入を勧めてベッドを用意してくれた。
 利用カードの利用者の欄には、つい数時間前にここを使った十夜の名前もあった。
 彼の存在を消すようにして、手早くカードに記入をして、ベッドに潜り込む。
 そこも彼が朝、横になっていた場所で、彼を思い出させるには十分に効果があった。
 目をぎゅっと閉じて布団に潜り込み、頭を抱える。
 奥の方からくるズキンッとした痛みには、過去に覚えがあった。
 だが、その痛みの度合いや持続時間は確実にいつもより強い。
 必死で目を閉じてその痛みに耐える。
 痛みが和らぎ始め、うとうと仕掛けた時、ふと養護教員が仕切られたカーテンの外から話かけてきた。
「塚山さん、申し訳ないんだけど、私、これから会があって出ないといけないの。今日はもうあと一限だけだから、適当に帰って頂戴ね。鍵は夜戻ってくるからいいから」
 先生はそれだけ云って足早に保健室を出ていった。
 そっか、先生いなくなったのかぁ…ちょっと気分が楽でいいかな…
 私は、薄れゆく意識の中でそんな事を考えながら再び眠りに着いた。
 その後、授業終わりのチャイムが鳴ってしばらくすると、がらっと扉が開く音が耳に入った。
 先程チャイムで覚醒した時、ポケットから携帯電話を取り出して時間を確認しようとしたのだが、その際に一件の新着メールがあった。
 送信者は雪野で、内容はどうやら授業が終わったらカバンを持って迎えにきてくれるということらしかった。
 私がいつも携帯はポケットに入れていることを知っているから連絡してくれたんだと思う。
 だから、その時の日向は今入ってきたのも雪野だと信じて疑わなかった。
「雪野?ごめんね、ありがとう〜」
 まだちょっとふらつく頭を押さえながら、ベッドからそっと身を起こし、下りると、スカートの皺を軽く伸ばしシーツを心持ち整えてから、そこから出た。
「え…?」
 だが、カーテンを開いてその人物を確認した瞬間、日向は驚いた。
「なんで碓氷くんが…?」
 驚きが勝り、ついつい思ったことが口から出てくる。
 そう、そこに居たのは紛れもなく居るはずのない十夜の姿であった。
「カバン、持ってきたんだ」
 あからさまな日向の驚きに多少苦笑しながら、手に持つそれを渡してくれた。
「ありがとう…でも何で?雪野は?」
「立花さんに代わって貰ったんだ。勝手にごめん」
「いや、えと…持ってきてくれてありがとう…」
 先にこうやって謝られてしまえば、これ以上私が何かいうことは出来ない。
 一瞬、先手を打たれたかなと思ったけど、まさか、ね。
「それより、体調、大丈夫?頭痛だって聞いたけど、落ち着いた?」
 本当に心配してくれているようで、気遣うように碓氷くんが見てくる。
 こんな彼を見たら、他の子だったら、卒倒してるだろうなと余計な事を考えて見ていると、ちょうど目が合ってしまった。
 思わず逃げるようにぱっと逸らしてしまう。
 今のあからさまだったよね…どうしよ…
「だ、大丈夫だから」
 内心、慌てふためいたものの、それだけ云うのが精一杯だった。
 やっと薄れかけていた先程の件が蘇ってきて、やはり上手く喋れそうにない。
 どうしたものかと俯いたまま思案していると、碓氷くんの方から話し掛けてきた。
「ごめん、もしよかったら、ちょっとだけ時間いいかな」
 思っても見なかった十夜の申し出に、日向は一瞬戸惑いを見せた後、表情を引き締め、神妙に頷いた。
「分かった…」