「学校行きたくない…」
朝からそう言ってさぼろうとしたのだが、病気でないのだから行けと無理矢理母親に追い出された。
いつまでも逃げてるわけには行かないけど、それでも行きたくない気持ちが大きくて未だ敷地から出ることを体が拒否している。
昨日、あの後、放心から解けてすぐ、懇親の力を込めて生徒会長の顔を殴った。
素手ではなく、遠心力という大きな武器を持った茶色い合成皮の学校指定カバンで。
中には数冊のノートと予習のために持ちかえる英語辞書、その他もろもろが入っていたが、目の前の相手に容赦などしてやるつもりなど毛頭ない。向こうもカバンなんかが飛んでくると思わなかったのだろう、凶器となったカバンを受けるには無防備で、また、こっちももちろん避ける暇を与えはしなかった。
「後数発、腹にでも入れてやればよかった」
思い出すだけで怒りがこみあげてくる。
そのせいで昨日の夜は良く眠れなかったので、余計に機嫌が良ろしくない。
「しかもよりによってファーストキス…」
「初めてだったんだ?」
ため息を吐いて家の門に手を掛けたところで突然上から声が振ってきた。
「あ、な、、っ」
あんたなんでと云いたいのだが、驚きと動揺で声が上手く出ない。
「うん、待ってたから」
云いたいことは分かったのだろう相手は、しっかりと受け答えを返した。
「待つ待たないじゃなくてなんであんたが私の家知ってるの!」
そう、まずそれだ。
怒りも動揺もあらわに指差して叫ぶと、目の前の相手は悪怯れもせず笑顔で返してきた。
「生徒会長だから?」
いや、それ、返答になっていませんから。
生徒会長だからって権限で個人生徒の情報を調べたりするのはまずいって…
「あはは、志保は顔にすぐでて面白いね」
それ全然誉めてないですからっ。
もう一度息を吐いて、なんとか気分を落ち着けると、私は無視して学校に行くことにした。
だが、どうせ行くところは一緒、奴も後ろから着いてくる。
だが、完全無視だ。
家から学校までたいした距離はない。
歩いて10分。
少し我慢すれば解放される。
そう自分に言い聞かせていつもの倍に志保は歩みを早めた。
「昨日のアレは効いたよ、ほら、まだ青くなってる」
無視、無視。
そんなの今日顔を見ればわかったし、むしろ自業自得と笑えるくらいだ。
そんなこんなで横で何を云われても無視してたのだが、学校が近づくにつれ、嫌に視線が痛くなってきた。
そ、そうだ、横にこんな目立つ奴を連れてたら悪目立ちするに決まってる…
ああ、嫉妬丸出しの女生徒の視線が痛い。
なのに、横の男はどこ吹く風といわんばかりに朝っぱらから爽やかな笑顔全開で挨拶に応えてるから余計に腹が立つ…。
「いい加減、離れてください…」
周りが気になってついつい小声で云うと、顔を覗き込むように近付けてきた。
意に反して敬語を使ったのはあくまでここが学校でヤツが曲がりなりにも先輩だからだ。
「何で?」
こいつ、わざとだ。
周りの女生徒が騒いでるの分かっていてわざわざ誤解を招くようなことをしてきやがる。
「私はあんたなんか嫌いって何回も云ったはずよ!」
それでもなるべく声を落としてしまうのは、周りの女子の目が恐いからだ。
「うーん、俺は好きだよ」
は…?好き?
好きって…好き?
一瞬ぽかんとして、次の瞬間に私の顔は火が灯ったように赤くなった。
こんな公衆の面前で…っ
もちろん、話の内容は周りには聞こえていないだろうが、雰囲気とこの私の赤面した顔は周りに誤解を与えるには十分だ。きゃあきゃあひそひそ女の子の悲鳴が聞こえる。
ってか何!
普段は優等生よろしく「僕」とかいってるのに、こいついつの間にか「俺」になってるわよ!
「この狸っ…」
殴りたい衝動を公衆の面前だと理性でなんとか押さえ、嫌味を込めて云ってやると、こともあろうに「ありがとう」と礼をいいやがった。
誉めてないっての!
「だー疲れた…」
やっとやつとの押し問答にも解放され、一番落ち着ける自分の席に辿り着くと、そのまま机の上につっぷした。
「うう…」
睡眠不足のうえに朝っぱらから振り回され、挙げ句、恨みの籠もった悪意ある視線を一身に受け、志保は精神的にも疲れていた。
「おっはよーさんっ」
「ぐえっ」
突然上からエルボーをかけられ、蛙が潰されたような悲鳴が漏れた。
「さ、さーきーっ」
相手は誰だか分かっている。
ぎりぎりと机に爪を立てながら、怒り露に志保は顔を上げた。
「あはは、ごめんごめん」
謝ってはみているが、それに感情が籠もってないことなど100も承知だ。
「おはよう、志保ちゃん」
隣から、にこにこと可愛らしい笑顔で優美が近寄ってきた。
「で、今日は何で生徒会長と仲睦まじくご登校なさったのかしら?」
早紀がにたにたと気色の悪い笑みを浮かべて聞いてくる。
あれのどこが仲睦ましいのだ…
聞かれることはわかっていたが、いざ聞かれてみると周りから見た印象まで知ってしまい、余計に落胆してしまう。
「あれは向こうが勝手に家まで…」
「家まで!あんたいつのまにそんな関係に!?」
だ、だめだ。こいつ真面目に聞く気がない…
てか、ここで大声ださないでほしい、頼むから。
落ち着くためにため息一つついて、早紀の肩を叩き、興奮しているのを落ち着かせると、昼休みに詳しく話すからということで了承を得た。
「絶対話しなさいよ」
先生が来たので釘をさして二人とも席にもどっていく。
はぁ…
私、昨日からいくつため息ついたんだろう…ため息吐くと幸せ逃すというけど、幸せじゃないから出るんだ……と、どうでも良いことを考えていた。
「はぁー、そんなことがねえ…」
昼休み、人の居ない裏庭で、二人に事の顛末を説明すると、聞き終えた早紀は感心したように目を丸くした。
隣の優美も驚いているのか、普段でも大きな瞳がこれ以上開くと零れるのではないかと心配してしまうほど見開かれていた。
「志保ちゃん可哀相…」
「ってか、志保、何で私たちにまで会長のこと隠してたのよ」
いきなり早紀ににらまれ、志保はたじたじと困ってしまう。
「いや、だから、云っても誰も信じそうにないし…」
「だから、それよ。私らはあんたの何?」
むすっとして不機嫌そうに見てくる早紀の瞳には、いつものような冗談っぽさはなく、本気だというのがわかった。
「友達…」
「でしょ?私は話したこともない会長よりあんたを信じるわよ、もちろん優美も」
早紀が隣に視線を送ったので誘導されるように私も優美をみた。
「うん、私も志保ちゃんのこと信じてるよ」
上目に、でもはっきりと云ってくれる優美が可愛くて、思わず抱き締めてしまう。
「ごめんね、早紀、優美ぃ〜」
「し、志保ちゃん?」
そうだよね、友達だもん。
もっと早く相談すればよかったよ。
「信じてはいたんだけど、云ったらまた遊ばれると思ってさぁ…」
「ああ、それはそれ」
素直に思いを口にすると、早紀はあっさりと割り切った答えを返してきた。殴りたい…
「さ、早紀ちゃん〜」
満足そうに弁当に箸を付ける早紀を優美が嗜めるように名を呼んだ。
「うう、やっぱり私の友達はあんただけだわ…」
涙を拭く真似をして殊更強く優美に抱きつく。
ああ…優美ってふにふにしてて気持ちいいなぁ。
なんて事を考える余裕が私にはまだあるようだ。
これ以上優美をからかっても可哀相だから、その辺りで優美を解放した。
「それにしてもあんた、何で会長に気に入られたんだろうね」
箸をくるくる器用に回しながら早紀が考える風に空をみながらこぼす。
なんだかんだと云いつつも、一緒に考えてくれる気はあるようだ。
「いやぁ、それが私にもさっぱり。ってか、からかわれてるんでしょ。はあぁ」
昨日からもう何度目かもわからない盛大なため息を吐く。
「志保ちゃん可愛いから、きっと会長も志保ちゃんの事気になったんじゃないかなぁ?」
横で優美がそう云ってくれるけど、いや、あんたの方が可愛いってば…!
「志保は確かに黙ってれば可愛いけど、口を開くとねぇ」
「早紀、口の悪さならあんたも張りよ」
「いやー、私、ちゃんと使い分けしてるから」
ってことは狡猾な分タチ悪いじゃないか…
「ま、考えても仕方ないし、いっそ会長と付き合っちゃえば?」
考えることが面倒になったのか、早紀がそんな適当なことをさらっという。
「だから何でそうなるのよ!」
断固として云うが私はあいつが嫌いなのだ。
何が悲しくて男女平等のこの時代に嫌いな男と付き合わねばいけないのか。
「相変わらず堅いわねえ、結婚するわけでもないんだし付き合うだけよ?それに、会長、ああ見えてかなりのやり手とみたわ。恋愛初心者のあんたには似合ってるんじゃない」
「嫌。恋愛は好きな人とするって決めてるもん」
生まれてから16年、誰とも付き合わなかったのは単に相手がいなかったからじゃなく、付き合いたいと思うような人が現われなかったからだ。
いまさらこんなところで妥協はしたくないし、相手があいつなら論外だ。
「それに、付き合おうとは云われてないわよ。無理矢理キスされたけど」
「好きでもない相手にキスしないって」
「いや、あいつならやりかねない」
「でもさぁ、会長が誰かと付き合ってるなんて話入学してから一度もきいたことないわよ?告白も全部断ってるし」
情報に長けている早紀が云ってるのだからそれは本当なのだろう。
こう見えて早紀は情報通で、教師の秘密をも握っているという噂まである。
敵に回したら恐ろしそうだ…
「だとしてもお断わり。恋愛は好きな人とするんだもん」
笑われようがどうされようがそこだけは譲る気はないのだ、私は。
「じゃあ、好きになってよ」
突然振ってきた場にそぐわぬ言葉は、早紀のものでも優美のものでもなく、最近良く聞く黒崎拓也のものに似ていた。いや、本人のもの以外なにものでもない。
「ひっ!」
思わず悲鳴じみた声が出るのも仕方ないと思って貰いたい。
早紀と優美ですら目を見開いて驚いているのだ。
耳元でダイレクトにヤツの声を聞いてしまった私は、叫ばずにいられない。
「なんでいきなり現われるんですか!」
「うーん、驚かすつもりはなかったんだけど」
驚かすつもりはなかっただと。
気配なく近づいておいてよくいうわ!
こいつ、只者じゃないわね…少なくとも、武道を嗜んでいる私は、気配には敏感なのだ。
そういえば、昨日の会議室に呼ばれたときも中に気配を感じなかった…
「心臓に悪いからもう私の周りに近寄らないで下さい」
はっきりきっぱり意志表示しても、目の前の相手は困ったなぁと呑気に首を傾げている。
あー、腹立つ!
「会長、何で志保なんですか?」
そこで、隣にいた早紀が口を開いた。
「うん?」
拓也の視線が、ゆっくりと私から隣の早紀に移る。
「私は秋吉早紀と言います。志保の友達です。この子は香坂優美」
早紀に名を呼ばれ、優美が軽く会釈する。
「ああ、知ってると思うけど、僕は黒崎拓也。よろしくね」
にこっと、それは麗しい笑顔を作って微笑んでいるが、先ほどまで志保の話を聞いてた早紀がそれに騙されるはずもない。
「それで、何で志保なんですか?」
「うーん、それは、君に答えないといけないのかな?」
どちらもさわやかな笑顔なんだけど、その笑顔が寒い…
おろおろと、優美が私を見て来るけど、ごめん、優美、私も恐い…
「そうですね。一応、志保の友達としてはこの子に被害が及ぶような事があれば黙ってはいられませんので。興味本位なら近づかないで下さい」
怯むことなく言い切ってくれる早紀。
なんだかんだと口では言いながらも、しっかりと心配はしてくれているんだ。
「ふむ…」
しばらく考えて、拓也は視線を早紀から私に変えて来た。
うう。
思わず、早紀の後ろに隠れたくなる。
「志保は、いい友達を持ってるね」
いや、そうだけど、それをあんたに今言われても…
「秋吉さん、だっけ?」
くるっと視線を変えて、早紀に戻し、先ほどより少し砕けた笑顔を見せた。
多分、生徒会長として普段見せている笑顔じゃなくて、もう少し、そう、友人に向けるような笑顔。
「はい?」
「僕は、別に興味本位で志保に近づいているわけじゃないから。」
それだけを言い切った会長を、しばらく観察するように見ていた早紀だが、ふっと息をついて表情を和らげた。
「それならいいんです」
おいおい。
待て待て。
何二人で目と目で会話してるの!
私は全くもって良くない!
ってか、勝手にOK出すんじゃないっての!!
なんて心の中で叫んでみるが、そんなのが伝わるわけがない。
くるっと早紀はこっちに向き直って、事もあろうに「頑張って」と言ってきやがった。
その顔が目の前のヤツのそれと重なって、くらりと眩暈がしたわ…